尾瀬・近代史

  

ダム計画、観光道路計画などいかに多くの危機にさらされてきたか

1889(明治22年) 平野長蔵翁燧岳開山
1918(大正07) 関東配電(後に東京電力と合併)尾瀬沼と尾瀬ヶ原をダムにして日本一の
発電所をつくるため、所有者から35万円で買収。
1922(大正11) 同社は尾瀬ヶ原を水没させ、その水を利根川に分水する発電水利権を得る。
平野長蔵翁反対訴訟。尾瀬ダム化、分水計画の始まり。
1934(昭和09) 尾瀬地区が日光国立公園の一部に指定された。
1940(昭和15) 日光国立公園・菅沼地区利用計画の一環として尾瀬沼湖畔を通る公園計画の
車道(県道)として決定.
1949(昭和24) 11月沼尻にダム完成、尾瀬沼取水開始
1950(昭和25) 東京電力またも尾瀬ヶ原ダム計画発表。学者、文化人、登山者による
「尾瀬保存期成同盟」結成される。
1965(昭和40) 新潟県議会、尾瀬分水反対の請願を国会に提出。関東1都5県の知事、
尾瀬分水促進の要望書を国会に提出。 関東1都5県による、
「尾瀬水利対策規制同盟会」結成
1966(昭和41) この年後半大清水から奥の車道工事始まる。
1967(昭和42) 日光国立公園尾瀬地域公園計画「尾瀬を守る計画」決定。大清水〜尾瀬沼畔
〜七入の公園計画車道を特別保護地区外である小渕沢田代を経由する
ルートに迂回することへ変更。
1970(昭和45) 柳沢〜三平峠間の道路(6.1km)厚生省が工事認可御池〜沼山峠間の
車道(9.6km)自衛隊の協力で完成御池〜沼山峠間の会員制バス運行開始
1971(昭和46) 6月岩清水が破壊される。7月1日、環境庁誕生、大石長官尾瀬視察、
       車道工事中止を表明。8月「尾瀬の自然を守る会」発足
    11月 神奈川支部(現山ゆり会)平野長靖氏を迎えて発足。
       三平峠車道建設中止と決定。
1972(昭和47) 6月、御池ー沼山峠間車道完成。
    12月、群馬県議会は一の瀬に400台の駐車場建設と岩清水までの車道を完成
させる計画を明にする。
1973(昭和48) 群馬県は三平峠車道と一の瀬駐車場計画を凍結。
1973(昭和48) 11月、凍結監視のため車道と駐車場の全域の測量実施(山ゆりの会)
1974(昭和49) 6月、尾瀬利用動態調査実施。(山ゆりの会)
1982(昭和57) 観光目的としないことで、奥鬼怒スーパー林道建設認可。
1988(昭和63) 「尾瀬を守る懇話会」入山料構想を発表。「山ゆりの会」反対
1989(昭和64) 「尾瀬自然保護調査」実施(山ゆりの会と勤労者山岳連盟)
1990(昭和65) 奥鬼怒スーパー林道完成。
       長蔵小屋、入山料アンケート実施、約6割が反対。
1992(平成04) 群馬県議会、県知事、「尾瀬分水計画」を白紙に。
       山小屋、公衆トイレの排水対策事業本格化
1995(平成07) 8月、群馬、福島、新潟3県による「尾瀬保護財団」発足
1996     3月、東京電力が尾瀬の水利権更新にあたり、延長の申請せず、分水計画消滅
2000-2001 群馬県、一ノ瀬―岩清水間2.5kmの復元へ