山ゆりの会の歴史=活動の経過
発足以来の主な活動です。
- 1971.8 尾瀬・三平峠観光車道反対で「尾瀬の自然を守る会」発足
- .8 望月たか子さんの呼びかけで横浜駅西口で三平峠車道反対
- 署名活動
- .11 尾瀬の自然を守る会・神奈川県支部(現山ゆり会)尾瀬の
- 平野長靖氏、丹沢の中村芳雄氏らを迎えて発足。
- 1972.5 第1回尾瀬現地集会実施、環境庁へ要請(以後毎年実施)
- 一の瀬駐車場建設と岩清水までの車道完成計画に対し
- 山ゆりの会、駐車場と車道の凍結の運動展開。
- 1972.6ー8 尾瀬周辺踏査実施
- 1973 群馬県は石清水までの車道と一の瀬駐車場計画を
- 正式凍結発表。
- 1973.10 尾瀬三平峠車道凍結監視のための現地測量を当会が
- 独自実施
- 1974.6 当会が「尾瀬利用動態調査」を尾瀬の全入山路で実施。
- 1974〜1977 丹沢踏査活動実施
- 1975〜 宮が瀬ダム反対で対県交渉を精力的に実施(以降毎年実施)
- 1976.1 中津渓谷をつぶすな、宮が瀬ダム反対で知事交渉。
- 秋の対県交渉で丹沢の野生動物調査の実施、宮が瀬問題
- など要求。
- 1976 丹沢でゴミ持ち帰り運動展開、指導標設置活動の実施。
- 1976.11 望月たか子さんの奮闘で宮が瀬ダム問題を考える県民
- の会結成、代表に篠田健三氏。
- 1977〜 丹沢山塊を考える県民会議を提唱。丹沢山塊の持つ重要性、
- 丹沢保護の基本政策の樹立を訴える。丹沢集会開催
- (以降4回実施) 宮が瀬ダム、丹沢50万ボルト鉄塔建設に
- 反対運動。丹沢山塊を国立園に、国立野生動物保護センタ
- の開設、総合学術調査の実施などを県に要求。
- 新神奈川計画から巨大開発を閉め出す署名運動展開。
- 1978.11 第4回紅葉の丹沢集会、丹沢保全、宮が瀬ダム凍結、
- など決議
- 1979〜 尾瀬分水計画に反対(第10回尾瀬現地集会)
- 1980〜 やまゆり山行を県・市の公園、施設の調査に切替。
- 県、環境アセス条例案への批判と提案
- 1981〜 尾瀬沼取水の中止を求める決議(第11回全国自然保護
- 大会静岡大会・沼津)
- 1981.8 山ゆりの会山行・100回記念特別企画・加賀白山
- (石川県自然保護協会会長、 金沢大木村先生の案内)
- 1982 宮が瀬ダム水没地域全戸訪問実施。
- 1988〜 元環境庁長官大石武一氏らの尾瀬を守る懇話会による
- 「尾瀬入山料構想」に反対する決議を環境庁に送付。
- 1989 第2回尾瀬利用者動態調査実施(勤労者山岳連盟と共催)
- 1986〜 県央道、宮が瀬ダム、相模大堰、道志山北ゴルフ場、
- 山並み5湖ネットワークなどから自然破壊を防ぐ対県要求
- 運動展開。
- 1994〜 丹沢林道踏査実施、県民の森への林道建設凍結要求など。
- 1991〜 ブナ林枯死原因解明、林道問題など丹沢保全に関する
- 対県要求運動展開
- 1994.11 日本の森と自然を守る全国集会・神奈川集会に幹事団体と
- して参加。
- 1995〜 神奈川の自然と環境を守る連絡会(神奈川グリーンネット)の
- 設立に参画、団体加盟。
- 2000/11 山内忠吉先生遺稿集「やまなみ」発刊